2009.07.13
そばで。
結婚するまでの23年間
私は母のそばで いつも母がいてくれることに安心して
ゆったりと生きていました。
常に守られて いつも母に甘えて・・・
きっと そのまま母の近くで
ずっと甘えて過ごせると思っていました。
結婚した相手も地元のひとだったからです。
でも人生は 何が起こるか本当にわからないものです。
今は帰りたくてもなかなか母のもとに帰れません。
田舎を出るなんて夢にも思っていないことでした。
私は結婚するまでは
母に日々諭されて
母の人生論を聴きながら
それを支えに生きていましたが
こうして母から離れて生きてきた年月も
母のそばで過ごした年月と同じくらいになっていることに
はたと気づき 長く旅してきたことを静かに想います。
ここ10年は 日舞の師匠が いつもそばで
私を諭してくださいます。
おかげさまで 私はこうして 自分を見失わずに
しっかりと立つことができます。
本当に有難いことです。
人としての誇りを持ち
ぶれない生き方を・・・と 最近は想っています。
師匠には 黙って受けとめる、ということを教えていただきました。
余計なことは言わない。
言い訳もしない。
言ってどうなることでもないのだから。
「負けるが勝ちですよ」
微笑む師匠の目が 妙に力強くキラリと光ったりするのです。
いろんなことを乗り越えられてきた方の言葉は
本当に重いですし 励まされます。
まだまだ 道ははるか。
目先のことにとらわれず
しっかりと歩いていきたいとおもっています。
私は母のそばで いつも母がいてくれることに安心して
ゆったりと生きていました。
常に守られて いつも母に甘えて・・・
きっと そのまま母の近くで
ずっと甘えて過ごせると思っていました。
結婚した相手も地元のひとだったからです。
でも人生は 何が起こるか本当にわからないものです。
今は帰りたくてもなかなか母のもとに帰れません。
田舎を出るなんて夢にも思っていないことでした。
私は結婚するまでは
母に日々諭されて
母の人生論を聴きながら
それを支えに生きていましたが
こうして母から離れて生きてきた年月も
母のそばで過ごした年月と同じくらいになっていることに
はたと気づき 長く旅してきたことを静かに想います。
ここ10年は 日舞の師匠が いつもそばで
私を諭してくださいます。
おかげさまで 私はこうして 自分を見失わずに
しっかりと立つことができます。
本当に有難いことです。
人としての誇りを持ち
ぶれない生き方を・・・と 最近は想っています。
師匠には 黙って受けとめる、ということを教えていただきました。
余計なことは言わない。
言い訳もしない。
言ってどうなることでもないのだから。
「負けるが勝ちですよ」
微笑む師匠の目が 妙に力強くキラリと光ったりするのです。
いろんなことを乗り越えられてきた方の言葉は
本当に重いですし 励まされます。
まだまだ 道ははるか。
目先のことにとらわれず
しっかりと歩いていきたいとおもっています。
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