2020.11.30
充実の11月
2020.11.28
広響ポップスコンサート

昨日は主人と二人で広島国際会議場フェニックスホールで開催された
広響ポップスコンサートに行ってまいりました。
もともと今年の4/29にあるはずだったのですが
コロナ禍で開催されませんで
中止になるかと思っていたのですが
有難いことに 昨日開催となりました。
今年は私はとにかく コンサートなど 音楽を聴けるチャンスがあれば
積極的に出て行こうと考えまして
出て行く気満々になっていたのですが
コロナによって コンサート自体ほとんど行われませんし
出て行ける状態でなくなっていったのですが
今回は もうギリギリのところだったと思うのですが
無事に開催され 楽しい時間を過ごすことができました。
なにしろ山口県で人を待っていても
ほとんど誰も来てくれませんし(涙)
山口でじっと待っていても もうダメだと やっと気がつきまして
広島を探すようになりました。
たまたま 布施明さんがゲストとして広響のコンサートに出られるというのを知りまして
そういえば 布施さんの歌をこんなに聴いて生きてきながら
一度も生歌を聴いたことがないので 一度聴いてみたいと思いました。
そんな動機では ありましたが
広島にこんな素晴らしい交響楽団がある、ということを知ることにもなり
本当によかったです。
席は 一つずつ空席を開けて・・・ということで
主催者の方のお気持ちを思うと 気の毒でもあり
申し訳ないような気持ちになりました。
CDの販売もありませんし
このような形では アーティストは
本当に大変だと思います。
それでもこうして開催してくださったことに心から感謝。
開演のでの待ち時間も
みなさん とても静かで 咳払いする人もなく
こんな静かな開演前は 初めてだと思いました。
大抵 ゴホンゴホンと咳をする人とかいますけど
さすがにコロナ禍では 誰一人咳もしません。
隣が空いていることもあり 話し声しもなく
異様なくらい静かでした。
コロナ禍でコンサートを見に行くのも
本当にみなさん 気を使ってじっとされていることがわかります。
余談ですが 今回 久々に
美しいお声の若い女性の声を聴いて
素敵だなぁと思いました。
館内アナウンスと司会をされていた広島FMのアナウンサーの方の声
本当に良いお声でしたね。
最近 こんなきれいな良いお声をされた方
あまりいらっしゃいません。
うれしいなぁ こんなきれいなお声をした方が
今の世にもいらっしゃるんだわ、と 惚れ惚れとして聴いてしまいました。
さて今回の指揮・アレンジャーは藤野浩一さんですが
テレビで 拝見したことがあり 親しみを感じました。
第一部は布施さんが登場されて歌われていましたが
気心が知れた 親しい間柄なんだろうなぁと感じました。
誰もが知っている「君は薔薇より美しい」とか「シクラメンのかほり」とか
初めて生で聴きましたが 本当に良いお声で声量があり
やっぱり布施明って すごい歌手だよなぁと思いました。
布施さんの「マイ・ウェイ」聞けたこともうれしかったです。
新しい曲も披露していただけました。
布施さんって とてもまじめな方なんだなぁと思いました。
55周年だそうです。
布施さんを目標に頑張って来られた方もいっぱいいらっしゃると思います。
背中を追いたくなる布施さんが歌謡界にいらっしゃったことは大きいです。
歌謡界のレジェンドと紹介されていたと思いますが
本当にそうだなぁ と 納得してしまう。
圧倒的な存在感です。
二部は 藤野さんの指揮とトークで
広響の楽団のことを知る良いきっかけになりました。
トークも楽しかったです。
メンバーのソロもありましたが すごかったですね。
こんな素晴らしい楽団が広島にあったのに
全く知りませんでした。
なぜに知らなかったのだろう・・・と 知らない自分を不思議に感じるくらいでした。
平成のポップスメロディは31曲。
こうして聴いてみると 平成って 良い時代だったなぁ・・・と
しみじみ思えました。
全部知ってる自信があったけれど
27曲目だけは聞いたことはあるけれど 曲名がわからなかったです。
こうして集めて聴いてみると
平成は 人を励ます歌で あふれていたのだなぁ。
主人が 広響のコンサートがあれば
また行きたいね、と言ってました。
次は息子もいっしょに連れてきて
広響のコンサートを観て 広島の居酒屋にいこう、と
目を輝かせていました。
コロナ禍の時代
人が集うことができませんし
リモートとか オンラインとかで
なんとかなってしまいますけれど
やっぱり音楽というものは 実際にその場で聴いて
音の強さや優しさなどの音の波動とか 人や楽器の声の色とか
音と音の間の 沈黙のような一瞬の間や始まり
以心伝心のような 阿吽の呼吸のようなものとか
その場で聴かないと 感じ取れないものがいっぱいあります。
胸の琴線に触れるという言葉がありますけど
生の音って そういう繊細なものが感じ取れるものですから
コロナが終息したら 日本全国、あちこちで
コンサートがたくさん開催されますようにと
祈らずにはいられません。
こんな困難な状況の中 コンサートを開催してくださったみなさま
本当にありがとうございました。
贅沢な時間をすごすことが出来ました。
2020.11.23
萩へ
13~14日に萩に旅行してきました。
ゴートゥトラベルで
主人が萩本陣に予約を取ってくれたので
萩に行ってきました。
萩にはちょくちょく行ってはいるのですが
今回は初めて船に乗って
萩を水上より眺めました。
案内してくださる方のお話が興味深く
萩という土地と人を知ることができました。
お天気も良く爽やかで
これはおすすめです!

そのあとは、自転車を借りて
萩の堀内から外まで散策しました。
主人が、自転車に乗れるのか?と
笑いながら聞いてくるものですから
自転車くらい乗れるわよ、
任してちょうだい~なんて自信満々に答えまして
ママチャリかと思ったら
サドルが高くて、乗ったら足が地に着かないので
とても焦りました。
内心、ひ~~っ‼
でも、なんとか50分ほど自転車で走り
これもまた初めての経験で楽しかったです。

翌日は友の薦めで
東光寺へ。
毛利氏菩提寺。
歴史を感じました。


朝もやの中 空気も重く厳かな毛利氏廟所(びょうしょ)

萩に行くまでは、心細くなるほどのいなか道を通りまして
こんな田舎から
国を動かすような人がたくさん出たことに
驚くわけですが
やはり、大事なのは人であると
しみじみ感じるわけです。
人は勝手に育ちません。
育てた人がいる、ということです。
そういうことを考えると
吉田松陰の偉大さを知ることとなります。
萩の人は松陰先生と呼び、
学校でも松陰先生の言葉を
いつも声に出してみんなで言われているそうで
素晴らしいことだと思います。
立派な人を育てるためには
大人達が立派な人間にならないといけません。
そのことを考えました。
吉田松陰については
松陰読本という本が出ていますので
萩に旅行された際には
ぜひお読みいただきたいと思います。
ゴートゥトラベルで
主人が萩本陣に予約を取ってくれたので
萩に行ってきました。
萩にはちょくちょく行ってはいるのですが
今回は初めて船に乗って
萩を水上より眺めました。
案内してくださる方のお話が興味深く
萩という土地と人を知ることができました。
お天気も良く爽やかで
これはおすすめです!

そのあとは、自転車を借りて
萩の堀内から外まで散策しました。
主人が、自転車に乗れるのか?と
笑いながら聞いてくるものですから
自転車くらい乗れるわよ、
任してちょうだい~なんて自信満々に答えまして
ママチャリかと思ったら
サドルが高くて、乗ったら足が地に着かないので
とても焦りました。
内心、ひ~~っ‼
でも、なんとか50分ほど自転車で走り
これもまた初めての経験で楽しかったです。

翌日は友の薦めで
東光寺へ。
毛利氏菩提寺。
歴史を感じました。


朝もやの中 空気も重く厳かな毛利氏廟所(びょうしょ)

萩に行くまでは、心細くなるほどのいなか道を通りまして
こんな田舎から
国を動かすような人がたくさん出たことに
驚くわけですが
やはり、大事なのは人であると
しみじみ感じるわけです。
人は勝手に育ちません。
育てた人がいる、ということです。
そういうことを考えると
吉田松陰の偉大さを知ることとなります。
萩の人は松陰先生と呼び、
学校でも松陰先生の言葉を
いつも声に出してみんなで言われているそうで
素晴らしいことだと思います。
立派な人を育てるためには
大人達が立派な人間にならないといけません。
そのことを考えました。
吉田松陰については
松陰読本という本が出ていますので
萩に旅行された際には
ぜひお読みいただきたいと思います。
2020.11.11
簡単ではない。

ティシュボックスカバーを作ってほしいという依頼を受けましたが
2つ作ってください、とのこと。
1つ作るだけでも 本当に大変なんだけど
2つとは・・・とほほ・・・と
内心少し思いつつ

第一作目。
よーーし、できた。
おーっ なかなかの出来栄え~~っ!!
明るくポップな感じで
元気が出る感じ~~っ!

そして2作目。
あか抜けた大人の色合いで
おしゃれな大人の感じ~~っ。
よーーし 出来た~~っ!!
ヽ(^o^)丿
そして出来ましたーーーっと
メッセージを送ったら
ドイリーも欲しいので
ドイリーを編んでください。
それと一緒にお願いします・・・とのこと。
レースを編むのは簡単ではありません。
どうしたものかなぁ~(>_<)
また編まないといけないとは・・・とほほーーー。
でも 作品はばっちりだーーーーっ。

2020.11.10
フラワーギフト
今年もお友達のお誕生日にお花を送りました。
元気でいてくれてうれしい。
この一年も元気でいてください。
そんな気持ちを込めてお花を送りました。
よく花屋に行くと
とても豪華なアレンジが置いてあります。
思わず
「これ素敵ですね」と言うと
店員さんがお誕生日のプレゼントなんですよ~、
なんて返事。
こんな素敵なお花がもらえる人って なんて幸せなんだろう~
いいな~~~っ!!
って私は思うので
私はお誕生日には お花を贈りたいんです。
お誕生日には
きれいなお花を飾って
お祝いしてほしいですものね。
ということで 今回は楽天で注文しました。
今回は赤にしました。
赤い花は 元気と力を与えてくれます。
コロナに負けず
健康に楽しくお過ごしいただきたいと願いを込めました。

元気でいてくれてうれしい。
この一年も元気でいてください。
そんな気持ちを込めてお花を送りました。
よく花屋に行くと
とても豪華なアレンジが置いてあります。
思わず
「これ素敵ですね」と言うと
店員さんがお誕生日のプレゼントなんですよ~、
なんて返事。
こんな素敵なお花がもらえる人って なんて幸せなんだろう~
いいな~~~っ!!
って私は思うので
私はお誕生日には お花を贈りたいんです。
お誕生日には
きれいなお花を飾って
お祝いしてほしいですものね。
ということで 今回は楽天で注文しました。
今回は赤にしました。
赤い花は 元気と力を与えてくれます。
コロナに負けず
健康に楽しくお過ごしいただきたいと願いを込めました。

2020.11.07
大阪フェスティバルホールコンサート11/5
去年 大阪のサンケイホールブリーゼでのコンサートがあったのが
9月28日。
それから 今年は神戸で3月1日にコンサートをしていただけるということで
とても楽しみにしていましたが コロナウィルスというものが広がって
もう今年は無理かなぁと思っておりました。
私の諦めも早く 家籠りでの時間も充実してしまい
逆に出て行くのが怖いくらいの気持ちではありましたが
五郎さんが大阪で コンサートをしてくださる、ということで
勇気を出して行ってまいりました。
大阪フェスティバルホールというのは
今回 私は初めてだったのですが
レッドカーペットが敷き詰められた大階段があって
ゴージャスな雰囲気でびっくりしました。
会場もとても広くて とても立派なホールでした。
このような立派なホールでコンサートをしていただけたことにも
感謝だと思いました。
そして今回は さらに有難いことに
席も前の方で五郎さんが はっきりと良く見えました。
感謝感謝です。
今朝 出勤する前に勢いで
自分の掲示板にご報告を書いたのですが
時間が経つと また違った思いが湧いてきます。
ずっと 五郎さんが話してくださったことを
考えているのです。
そして思う。
こういう時代だからこそ
直接会って 歌を聴き 話しを聴き 見て 感じることが
大切なのではないだろうか、と。
それが出来ない時代だからみんな苦労していらっしゃる、ということは
百も承知で申し上げることです。
ですから それが出来た自分は
ほんとうに幸せですし感謝しかない、とも思います。
コロナ禍で コンサートをされることも
本当に大変だったと思いますが
五郎さんは決断してくださいました。
しかもいつもよりストリングスのお嬢様がたくさんいらっしゃって
演奏もより豪華にしてくださいました。
五郎さんがご自身で 人が集うためのテイクアウトライフというものも
開発されされたということも大きかったのではないかと思います。
それもこれも 人に逢って「あなたに届け~~っ」と歌いたい、
伝えたいと思うことがたくさんおありだからではないかと思うのです。
色んなことを考えるのですが
五郎さんについての色々な大きな出来事が
五郎さんを突き動かしていらっしゃるように思いました。
それはいったい何だろう、とついつい考えてしまうのですが私が思うのは
ひとつは
「ファミリーヒストリー」にご出演されたことではないかなぁ、と思うのです。
お父様の人生 お父様の夢、お父様の思いを
五郎さんが悟られたこと。
自分の夢は自分だけのものではなかった。
父親の夢でもあったんだとはっきりと知ることとなりました。
もうひとつは秀樹さんが亡くなられたこと。
あんなに 痛々しいまでに泣いていらっしゃる五郎さんを拝見し、
(もうあの頃は 常に鼻声になられていました。)
最初は 五郎さんが 秀樹さんのことを そんなに好きだったのか・・・と
思ったのですが
五郎さんは あれからよくおっしゃってました。
秀樹さんが自分のことをいつも守ってくれた、と。
秀樹さんが自分のことを大切にしてくれたこと、
愛してくれた、ということが
五郎さんにあれほどまでの涙を流させたのだ、
あの涙は 秀樹さんの愛だったのだなぁ、と
最近は思うのです。
そして三つ目は ご自分が
命に関わるご病気をされたことではないかと思います。
運良く 早期発見で 治療をされた
このことも 大きかった、と思うのです。
そして今年は京平先生が亡くなられました。
108曲もの作品を五郎さんに作られている、
五郎さんが師匠と言われる京平先生まで
天に召されてしまったのです。
命には限りがあります。
かけがえのない人たちからのたくさんの愛を受けた分
その人たちの思いを背負って
五郎さんは生きていらっしゃる。
けれど こういうことも思いました。
この世にいなくなっても
愛を送り続けることが出来る。
五郎さんを見ているとそんなことにも気づかされます。
今回のコンサートでも
お父様のこと 秀樹さんのこと 京平先生のこと
色んなことをいっぱいお話してくださいました。
デビュー前のことから アイドル時代のことまで。
余談になりますが すごくおもしろかったのは
衣装の話
「離せ~っ」 「離さない~」
この時の 五郎さんの表情 今思い出してもツボにはまる~~!!
面白過ぎて笑う~~っ
近くて 良く見えた~~っ(笑)
全部言えなくてごめんなさい~~~っ
京平先生の話しは
五郎さんのお気持ちが良く分かりました。
五郎さんは 特別でしたものね。
私が知りたかったお話。
京平先生に25歳になったら
アメリカに行くといいよ、と言われたということを
ブログに書いていらっしゃいましたが
どうして師匠の言われたことを守られずに
行かれなかったんだろうと ずっと考えてました。
有難いことに五郎さんがその答えを話してくださいました。
師匠の言われたことを 実行したかったけれど
出来なかった理由を 教えていただけて
胸が切なくなりましたが 納得できました。
五郎さんは何かに突き動かされるように歌っていらっしゃる。
初心に戻られたような感じがしましたが
そういう言葉で言い表せることではない。
大きな愛の力に突き動かされている。
そう思います。
本当に 素晴らしい歌声でした。
五郎さんは 歌う喜びにあふれているように見えました。
私も とても幸せな気持ちになれましたし
諦めていた夢を取り戻せるような気持ちになりました。
私たちファンは 長く五郎さんの歌声とともに生きてきました。
主人に 焼きもちを焼かれますが
考えてみたら主人に出逢うずっとずっと前から
五郎さんとともに生きてきたのだから
家族みたいなものだから 許してもらいたいです。
しかし どんなに 自己主張したとしても
ファンはファンであり 名もなき野の花のようなものです。
けれど 間違いなく
ともに生きてきた人生の道連れでもあります。
五郎さんはよくわかってくださっていて
私たちのことを
みなさん、とは言わずに貴女、と言ってくださり
大切にしてくださいます。
ですから 十分なのです。
五郎さんの歌やお話は 人生の道しるべになります。
私は私で その道しるべを頼りに
自分の道で輝けるよう頑張らねばと思います。
また五郎さんに逢いに行きたいと
今から楽しみにしています。

中之島の丸福珈琲店で友と
静かに語らいました。
日頃の行いが良いものですから
晴天に恵まれ暖かく
素敵な一日でした。

9月28日。
それから 今年は神戸で3月1日にコンサートをしていただけるということで
とても楽しみにしていましたが コロナウィルスというものが広がって
もう今年は無理かなぁと思っておりました。
私の諦めも早く 家籠りでの時間も充実してしまい
逆に出て行くのが怖いくらいの気持ちではありましたが
五郎さんが大阪で コンサートをしてくださる、ということで
勇気を出して行ってまいりました。
大阪フェスティバルホールというのは
今回 私は初めてだったのですが
レッドカーペットが敷き詰められた大階段があって
ゴージャスな雰囲気でびっくりしました。
会場もとても広くて とても立派なホールでした。
このような立派なホールでコンサートをしていただけたことにも
感謝だと思いました。
そして今回は さらに有難いことに
席も前の方で五郎さんが はっきりと良く見えました。
感謝感謝です。
今朝 出勤する前に勢いで
自分の掲示板にご報告を書いたのですが
時間が経つと また違った思いが湧いてきます。
ずっと 五郎さんが話してくださったことを
考えているのです。
そして思う。
こういう時代だからこそ
直接会って 歌を聴き 話しを聴き 見て 感じることが
大切なのではないだろうか、と。
それが出来ない時代だからみんな苦労していらっしゃる、ということは
百も承知で申し上げることです。
ですから それが出来た自分は
ほんとうに幸せですし感謝しかない、とも思います。
コロナ禍で コンサートをされることも
本当に大変だったと思いますが
五郎さんは決断してくださいました。
しかもいつもよりストリングスのお嬢様がたくさんいらっしゃって
演奏もより豪華にしてくださいました。
五郎さんがご自身で 人が集うためのテイクアウトライフというものも
開発されされたということも大きかったのではないかと思います。
それもこれも 人に逢って「あなたに届け~~っ」と歌いたい、
伝えたいと思うことがたくさんおありだからではないかと思うのです。
色んなことを考えるのですが
五郎さんについての色々な大きな出来事が
五郎さんを突き動かしていらっしゃるように思いました。
それはいったい何だろう、とついつい考えてしまうのですが私が思うのは
ひとつは
「ファミリーヒストリー」にご出演されたことではないかなぁ、と思うのです。
お父様の人生 お父様の夢、お父様の思いを
五郎さんが悟られたこと。
自分の夢は自分だけのものではなかった。
父親の夢でもあったんだとはっきりと知ることとなりました。
もうひとつは秀樹さんが亡くなられたこと。
あんなに 痛々しいまでに泣いていらっしゃる五郎さんを拝見し、
(もうあの頃は 常に鼻声になられていました。)
最初は 五郎さんが 秀樹さんのことを そんなに好きだったのか・・・と
思ったのですが
五郎さんは あれからよくおっしゃってました。
秀樹さんが自分のことをいつも守ってくれた、と。
秀樹さんが自分のことを大切にしてくれたこと、
愛してくれた、ということが
五郎さんにあれほどまでの涙を流させたのだ、
あの涙は 秀樹さんの愛だったのだなぁ、と
最近は思うのです。
そして三つ目は ご自分が
命に関わるご病気をされたことではないかと思います。
運良く 早期発見で 治療をされた
このことも 大きかった、と思うのです。
そして今年は京平先生が亡くなられました。
108曲もの作品を五郎さんに作られている、
五郎さんが師匠と言われる京平先生まで
天に召されてしまったのです。
命には限りがあります。
かけがえのない人たちからのたくさんの愛を受けた分
その人たちの思いを背負って
五郎さんは生きていらっしゃる。
けれど こういうことも思いました。
この世にいなくなっても
愛を送り続けることが出来る。
五郎さんを見ているとそんなことにも気づかされます。
今回のコンサートでも
お父様のこと 秀樹さんのこと 京平先生のこと
色んなことをいっぱいお話してくださいました。
デビュー前のことから アイドル時代のことまで。
余談になりますが すごくおもしろかったのは
衣装の話
「離せ~っ」 「離さない~」
この時の 五郎さんの表情 今思い出してもツボにはまる~~!!
面白過ぎて笑う~~っ
近くて 良く見えた~~っ(笑)
全部言えなくてごめんなさい~~~っ
京平先生の話しは
五郎さんのお気持ちが良く分かりました。
五郎さんは 特別でしたものね。
私が知りたかったお話。
京平先生に25歳になったら
アメリカに行くといいよ、と言われたということを
ブログに書いていらっしゃいましたが
どうして師匠の言われたことを守られずに
行かれなかったんだろうと ずっと考えてました。
有難いことに五郎さんがその答えを話してくださいました。
師匠の言われたことを 実行したかったけれど
出来なかった理由を 教えていただけて
胸が切なくなりましたが 納得できました。
五郎さんは何かに突き動かされるように歌っていらっしゃる。
初心に戻られたような感じがしましたが
そういう言葉で言い表せることではない。
大きな愛の力に突き動かされている。
そう思います。
本当に 素晴らしい歌声でした。
五郎さんは 歌う喜びにあふれているように見えました。
私も とても幸せな気持ちになれましたし
諦めていた夢を取り戻せるような気持ちになりました。
私たちファンは 長く五郎さんの歌声とともに生きてきました。
主人に 焼きもちを焼かれますが
考えてみたら主人に出逢うずっとずっと前から
五郎さんとともに生きてきたのだから
家族みたいなものだから 許してもらいたいです。
しかし どんなに 自己主張したとしても
ファンはファンであり 名もなき野の花のようなものです。
けれど 間違いなく
ともに生きてきた人生の道連れでもあります。
五郎さんはよくわかってくださっていて
私たちのことを
みなさん、とは言わずに貴女、と言ってくださり
大切にしてくださいます。
ですから 十分なのです。
五郎さんの歌やお話は 人生の道しるべになります。
私は私で その道しるべを頼りに
自分の道で輝けるよう頑張らねばと思います。
また五郎さんに逢いに行きたいと
今から楽しみにしています。

中之島の丸福珈琲店で友と
静かに語らいました。
日頃の行いが良いものですから
晴天に恵まれ暖かく
素敵な一日でした。

2020.11.03
文化の日には。

忙しい時に限って
あれやこれや どうしようもなくやりたくなって
気が散って仕方がないのだけれど
やらずにはいられないので
困ったものです。
3日は文化の日ということですが
例年なら 日舞の舞台も入るところが
今年な何もなくなって
今日は たっぷりと時間を取って
着付けの練習をしました。
やっぱり なにをしても
自分でやってみなければわかりません。
失敗を繰り返してこそ わかることもいっぱいあります。
とにかくチャレンジし続けることです。
情けない思いを重ねることも
続けていけばこそ
いつかその経験も貴重な財産へと変わるのです。
だから続けられる自分を
時には褒めてあげよう、って思います。
着たい色について いつも思うのは
私は 青とグリーンの間の色が
本能的に大好きなんだなぁ、ということです。
なぜだかわからないけれど
緑の入った青い色が
ものすごく好きなんです。
