2019.04.28
帰郷。
今日は下関の実家に戻り
母を連れて長門まで 父のお墓参りに行ってきました。
最近では 母が電話に出ることもなくなり
電話しても姉しか出ないため
帰らないと母の声も聴けないようになりました。
前に置いていた母の番号は整理され
姉の家の番号だけになってしまったので
母に電話してほしい、と言っても
もうだんだんとよくわからなくなって
子機もないから 自分では出来ない、と
なさけないことを言うのですが
それくらい 母も年を取ってしまった、
ということでしょう。
結局帰らないと母の声も聞けない状態になっていて
なんとも切ないものだなぁ、と思いますが
元気にしていてくれたので安心しました。
負けてなるものか、と思いながら頑張っている、と
言っていましたが
その気迫で 母は生きているんだと思います。
長門にお墓参りに連れて行ったら
母は涙を流して喜んでいました。
長門でお食事をして
せんざキッチンなどを回って帰ってきました。
親孝行できてよかった、と
連れて行ってくれた主人には感謝しています。
帰りに 豊田町の藤棚に立ち寄り美しい藤をながめ
ほっ、とする予定でしたが
次男から 財布がなくなった、という連絡が入って
ほっとする間もなく すぐに車で光に向かいました。
でも 母と別れた後のことで
母に心配をかけずにすんでよかったです。
なかなか心が休まらない
切ない今日この頃です。


母を連れて長門まで 父のお墓参りに行ってきました。
最近では 母が電話に出ることもなくなり
電話しても姉しか出ないため
帰らないと母の声も聴けないようになりました。
前に置いていた母の番号は整理され
姉の家の番号だけになってしまったので
母に電話してほしい、と言っても
もうだんだんとよくわからなくなって
子機もないから 自分では出来ない、と
なさけないことを言うのですが
それくらい 母も年を取ってしまった、
ということでしょう。
結局帰らないと母の声も聞けない状態になっていて
なんとも切ないものだなぁ、と思いますが
元気にしていてくれたので安心しました。
負けてなるものか、と思いながら頑張っている、と
言っていましたが
その気迫で 母は生きているんだと思います。
長門にお墓参りに連れて行ったら
母は涙を流して喜んでいました。
長門でお食事をして
せんざキッチンなどを回って帰ってきました。
親孝行できてよかった、と
連れて行ってくれた主人には感謝しています。
帰りに 豊田町の藤棚に立ち寄り美しい藤をながめ
ほっ、とする予定でしたが
次男から 財布がなくなった、という連絡が入って
ほっとする間もなく すぐに車で光に向かいました。
でも 母と別れた後のことで
母に心配をかけずにすんでよかったです。
なかなか心が休まらない
切ない今日この頃です。


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