2014.11.17
一日館長さん。
11月16日、星野哲郎記念館に水前寺清子さんが来られると知り、
お仕事も運よくお休みでしたので 行ってきました。
先日のブログに書きましたが
先日訪れた時に 水前寺清子さんの展示がされており
その師弟関係に胸を打たれ
水前寺さん(以後チータと書かせていただきます)のお人柄の良さを
しみじみと感じました。
記念館についたら「星野哲郎スカラシップ」の表彰式が
行われていました。
チータもステージの上に来賓として着席されていました。
表彰されたのは高校生がお二人、
大島商船の方がお二人、
そして看護専門学校の方がお一人、でした。
お若いみなさんが ご自分の夢を
生き生きとして語られていました。
若いって素晴らしいなぁ、
こういう方々がいらっしゃって心強いなぁと
とても感じました。
表彰された方々のスピーチの前に
来賓の方の祝詞があったのですが
その時はチータに声がかかりませんでした。
内心、せっかくいらしたのにお話されないんだ~残念・・・・と思っていましたら
"みなさんのスピーチの後に、
みなさんのお話を聴いての感想等を 水前寺清子さんにお願いします"、
などと 司会の方に言われて
チータさん あせっていらっしゃいました(笑)
その時にチータがおっしゃったことで心に残ったのは
チータが星野哲郎さんからいただいた言葉
「一日を一生と思って生きろ」
「精魂尽くしてさっそうたれ」
という言葉です。
たとえば舞台などで同じことをしゃべっても その日その日によって違う。
最後の最後まで自分の想いを貫く、
そんなお話だったと思います。
笑顔も素晴らしかったですし
腰に痛みがあったそうなのですが
とてもきちんとされていました。
最後は受賞者と来賓のみなさんでの記念撮影がありました。
ファンのみなさんも この時とばかり写真をとっていらっしゃいました。
こんなにみなさん遠慮もなくていいのでしょうか、というくらいだったのですが
チータは笑顔で応えていらっしゃって
私は遠くから見ていたのですが
思わずこちらまで笑顔がこぼれました。
本当にフレンドリーで優しい方だと思いました。
その後 チータのトークショーと
CDの販売と握手会もありました。
トークショーのお題は「私と星野哲郎先生」でした。
昔 ディスクジョッキーをしていた、
というお話からはじまりました。
父が自分をどうしても歌手にしたい、という思いがあった。
今いるのは両親の力、と おっしゃってました。
コンクールの出身で
当時はコンクールで優勝すれば歌手としてデビューできた。
その時 星野先生が自分を押してくれた。
けれど自分は2位だった。
コロムビアの研究生となり
11曲レコーディングしたけれど デビューできなかった。
どれもお蔵入りになった。
自分としては 芸名も考えていた。
そのお話は 楽しくてみなさん声をあげて笑われていました。
クラウンレコードが出来て
最後のチャンスでオーディションを受け 課題曲を歌った。
「暗くなったね」
そんな言葉に
星野先生が「そりゃ暗くなりますよ。
でも歌手になれたらこの子はきっとよくなりますよ。」
というような言葉を言ってくださり
(正確な言葉をちゃんと覚えていなくてすみません。)
そのひとことで 受かったんです、とおっしゃってました。
お蔵入りになった曲のひとつとして
遠藤実先生と星野先生の作品
「砂丘の乙女」という音源も聴かせていただけました。
とても上手でした!清らかな歌声でとても大人っぽい感じでした。
でもチータと言われなければ本当にわからなかったです。
「こんなに素晴らしい歌を作っていただいてもデビューできなかった」
どれほどつらく厳しい日々であったか、ということは
このひと言に凝縮されているように思いました。
父が星野先生のところに毎日どなりこんで
「うちの娘をどうしてくれるんだ!」
・・星野先生のほうが 大島に逃げ帰りたくなったのでは、って
ユーモアを交えて話してくださいました。
39年に「涙を抱いた渡り鳥」でデビュー。
芸名は五分でついたという話。
でも だからこそ よかったんだなぁ、って思います。
とっても楽しくお話していただけました。
3年で終わると思っていた。
そして3年過ぎて 新しい曲が出来てきた。
「あっ 終わったな。」
そう思った。
「どこの運動会の歌?」
一時間ねばった。
いやだ 歌いたくない。
演歌を歌ってきたのに。
レコーディング、
もう一度歌わせてもらった。
「あなたのつけた足跡にぁ
きれいな花が咲くでしょう」
演歌調にこぶしをつけた。
せめてもの抵抗だった。
(結果的には累計では100万枚を越える売り上げを記録し、
チータの代表作品となったわけです)
「この作品で
2つの道をいただきました」
ドラマの石井ふくこさん、など・・・
良いご縁をたくさんいただきました、とおっしゃってました。
43歳で結婚。
デビューの時先生に
「いいか、今日から男になれ」と言われた。
そのせいで結婚しないのではないか・・・
結婚のスピーチで星野先生が
「小松くん(だんなさま)もらってくれてありがとう。」
若い頃ちょっと浮いた話が出てくると
そんなことしてるんじゃない、という歌が出てくる。
先生は歌で伝えてくる。
いつも横にいる、と思える。
だから私は泣かない、とおっしゃってましたが
先生がチータのことを書かれた詩「二番さん」という詩を
朗読してくださっているうち
うっと胸にこみ上げられたのか
泣いていらっしゃいました。
聴いていて私まで
うるうるとしてしまいました。
星野先生の言葉
「まっすぐに歩いていると
まっすぐなひとに逢えますよ」
まだまだ1番は遠いですが
1番に向かって歩いていきたいと思います、
とおっしゃいました。
そして最後にひと言
「チータと呼んでいただける限り頑張ります!!」と
力強くおっしゃいました。
(感動)
話しを聴きながら
必死でがーーっと手帳に書きました。
聴き逃したくない。
大事なお話ほど 人間すぐに忘れてしまうものですから。
読み直すと あの日のチータが甦ります。
いいお話を聴けて 力をいただきました。
はじめからうまくいったわけではない。
挫折も知っての 今のチータなんだ、って思った時
よし、私も頑張るっ!!、って力が湧いてきました。
お話を聴いて 私が思ったことは
きちんと仰げる師がいる方は
人間が謙虚なのだなぁ、ということです。
常に師を仰ぎ 精進する。
時に誰に育てていただいたのか
わからないくらい
周りの人に 上からものを言われる方もありますが
きっと仰げる大きな支えがない方なのだろう、って思います。
いえ 若い時は仕方ないかもしれない。
勢いで突っ走れば一生懸命な分何もみえなくなる、
でも年を重ねれば重ねるほど 人は謙虚であるべきだと思う。
師がいてくれる人生はしみじみと有難い。
私はそんな風に思う。
チータは大変苦労をされて
デビューされた。
苦労されたからこそ
歌える喜びも続けていける感謝も忘れられることはなかった。
そして 大きな支えとなる師がいらっしゃった。
だからこそ50年歌い続けて来られたのだと思います。
世の中 師を誇りにする弟子はたくさんいると思いますが
師が誇りにできる弟子というのは
そんなにはいないと思います。
チータは星野先生の誇りなのだなぁ。素晴らしいことだなぁ。
そして星野先生は
亡くなられても尚
今も全力でチータの事を応援していらっしゃるんだ!
しみじみと そう思うとき
私も 自分の師や 周りの方に
誇りにしていただける生き方をせねばと
とても教えられた気がします。
あの日から
人生、最後は
誇りにしていただける人間になれるかどうか、に
かかっている。
背を正し日々精進なのだと
今は そのことをすごく思っています。
とてもとてもよいお話を聴けたので
ここに書き記しておきます。

翌日の朝日新聞の山口東部版の記事です。
鮮やかなスーツがとってもお似合いでした。
チータさんが いつまでもお元気で
歌い続けていただけることを
心から願っております。
新曲「人情~なさけ~」も購入して
握手していただけました。
「これからも応援してくださいね」と
声をかけていただけました。
きっと ずっと嬉しそうな顔をして私、
チータをながめていたんだわー。
あはっ。
うれしくていつまでも書いてます。
誰かとめてーー。
でも なんだか私もあの日からパワーアップいたしました。
ありがとうござました。
またチータがいらしてくださるといいなぁ~
なんて思っています。
それにしても
長いっ! 長すぎるーっ
この記事。
どうかお許しください。
ちなみに「三百六十五歩のマーチ」ですが
(まだ書くのかい、と言う声が聞こえてきそうですが書きます)
作詞 星野哲郎/作曲 米山正夫/編曲 小杉仁三・・・
そうそう作曲は米山正夫先生なんですね~
そのこともトークショーの時おっしゃってましたね。
歌いたくないと一時間ねばった、という話の時に
こんな素晴らしい先生の作品なのにあの時は…というような話しでした。
そしてこの歌を何度も聴いておりますと
「それっ ワンツー ワンツー ワンツー ワンツー!」
チータも演歌を歌いたいのに
ワンツーワンツー、と 英語が出てくる歌を
なぜに歌わないといけないのか、と思われたそうですが
(じゃあワンツーワンツーじゃなくて「いち、に、いち、に」だったらいいのかというと
それはもっとマズいよなぁ・・・・って思いました。)
やっぱりワンツーワンツー、で
はつらつとしたチータのかけ声だからこそだと思います。
チータならではのこのかけ声がいいのですが
このかけ声の
「それっ」
が なんといっても魅力的です。
人間 ワンツーワンツーのかけ声だけでは越えられないハードルがあります。
チータの 「それっ!」のかけ声を聴くと
なんだか思い切り良く自分も それっ!と 越えられる気がする。
よっしゃー がんばるっ!!・・・そんな感じでしょうか。
何気なく聴いていますが
ここがこの曲の肝心なところ。
チータの魅力を表現しているところと言えるのではないでしょうか。
そして また思い出しました。
(どこまで書くつもりかい、って 聞こえてきそうですが あと少し~っ。)
私は 「人生はプラスマイナスゼロ」だと
しみじみ感じていて
その言葉を自分に言い聞かせるのですが
そうだ、この言葉
水前寺清子さんが言われているのを聴いて
なるほどそうだなぁ、って
ずっと昔、思ったのでした。
そうそう、水前寺清子さんがそうおっしゃっていたんだ!!
やっと思い出しました。
人生って死ぬ時にプラスマイナスゼロ、って
たしかチータがおっしゃっていたと思います。
この言葉には感銘を受けました。
その言葉 生きていて しみじみと実感することが多いです。
三歩進んで二歩下がる、
それこそプラスマイナスゼロ、ということでもあるのですが
うまく行く時も 思うようにならないときもあるけれど
人生はすべてをひっくるめて 最後はプラスマイナスゼロ。
大きな山があればその後は大きな谷が必ずある。
強い光が当たれば そこに必ず濃い影が出来るように
幸運と試練は 常に背中合わせ。
そのことを考えると
人生は平等に与えられている、と思う。
だからこそ
「やすまないで歩け」
こつこつと積み重ねる努力が
生きる力になるんだな、と
しみじみと思います。
そしてチータのように
いつまでも笑顔が輝く女性になれたらいいな~。
もう書き尽したかな。
あ――書いた書いた!!!(笑)
お仕事も運よくお休みでしたので 行ってきました。
先日のブログに書きましたが
先日訪れた時に 水前寺清子さんの展示がされており
その師弟関係に胸を打たれ
水前寺さん(以後チータと書かせていただきます)のお人柄の良さを
しみじみと感じました。
記念館についたら「星野哲郎スカラシップ」の表彰式が
行われていました。
チータもステージの上に来賓として着席されていました。
表彰されたのは高校生がお二人、
大島商船の方がお二人、
そして看護専門学校の方がお一人、でした。
お若いみなさんが ご自分の夢を
生き生きとして語られていました。
若いって素晴らしいなぁ、
こういう方々がいらっしゃって心強いなぁと
とても感じました。
表彰された方々のスピーチの前に
来賓の方の祝詞があったのですが
その時はチータに声がかかりませんでした。
内心、せっかくいらしたのにお話されないんだ~残念・・・・と思っていましたら
"みなさんのスピーチの後に、
みなさんのお話を聴いての感想等を 水前寺清子さんにお願いします"、
などと 司会の方に言われて
チータさん あせっていらっしゃいました(笑)
その時にチータがおっしゃったことで心に残ったのは
チータが星野哲郎さんからいただいた言葉
「一日を一生と思って生きろ」
「精魂尽くしてさっそうたれ」
という言葉です。
たとえば舞台などで同じことをしゃべっても その日その日によって違う。
最後の最後まで自分の想いを貫く、
そんなお話だったと思います。
笑顔も素晴らしかったですし
腰に痛みがあったそうなのですが
とてもきちんとされていました。
最後は受賞者と来賓のみなさんでの記念撮影がありました。
ファンのみなさんも この時とばかり写真をとっていらっしゃいました。
こんなにみなさん遠慮もなくていいのでしょうか、というくらいだったのですが
チータは笑顔で応えていらっしゃって
私は遠くから見ていたのですが
思わずこちらまで笑顔がこぼれました。
本当にフレンドリーで優しい方だと思いました。
その後 チータのトークショーと
CDの販売と握手会もありました。
トークショーのお題は「私と星野哲郎先生」でした。
昔 ディスクジョッキーをしていた、
というお話からはじまりました。
父が自分をどうしても歌手にしたい、という思いがあった。
今いるのは両親の力、と おっしゃってました。
コンクールの出身で
当時はコンクールで優勝すれば歌手としてデビューできた。
その時 星野先生が自分を押してくれた。
けれど自分は2位だった。
コロムビアの研究生となり
11曲レコーディングしたけれど デビューできなかった。
どれもお蔵入りになった。
自分としては 芸名も考えていた。
そのお話は 楽しくてみなさん声をあげて笑われていました。
クラウンレコードが出来て
最後のチャンスでオーディションを受け 課題曲を歌った。
「暗くなったね」
そんな言葉に
星野先生が「そりゃ暗くなりますよ。
でも歌手になれたらこの子はきっとよくなりますよ。」
というような言葉を言ってくださり
(正確な言葉をちゃんと覚えていなくてすみません。)
そのひとことで 受かったんです、とおっしゃってました。
お蔵入りになった曲のひとつとして
遠藤実先生と星野先生の作品
「砂丘の乙女」という音源も聴かせていただけました。
とても上手でした!清らかな歌声でとても大人っぽい感じでした。
でもチータと言われなければ本当にわからなかったです。
「こんなに素晴らしい歌を作っていただいてもデビューできなかった」
どれほどつらく厳しい日々であったか、ということは
このひと言に凝縮されているように思いました。
父が星野先生のところに毎日どなりこんで
「うちの娘をどうしてくれるんだ!」
・・星野先生のほうが 大島に逃げ帰りたくなったのでは、って
ユーモアを交えて話してくださいました。
39年に「涙を抱いた渡り鳥」でデビュー。
芸名は五分でついたという話。
でも だからこそ よかったんだなぁ、って思います。
とっても楽しくお話していただけました。
3年で終わると思っていた。
そして3年過ぎて 新しい曲が出来てきた。
「あっ 終わったな。」
そう思った。
「どこの運動会の歌?」
一時間ねばった。
いやだ 歌いたくない。
演歌を歌ってきたのに。
レコーディング、
もう一度歌わせてもらった。
「あなたのつけた足跡にぁ
きれいな花が咲くでしょう」
演歌調にこぶしをつけた。
せめてもの抵抗だった。
(結果的には累計では100万枚を越える売り上げを記録し、
チータの代表作品となったわけです)
「この作品で
2つの道をいただきました」
ドラマの石井ふくこさん、など・・・
良いご縁をたくさんいただきました、とおっしゃってました。
43歳で結婚。
デビューの時先生に
「いいか、今日から男になれ」と言われた。
そのせいで結婚しないのではないか・・・
結婚のスピーチで星野先生が
「小松くん(だんなさま)もらってくれてありがとう。」
若い頃ちょっと浮いた話が出てくると
そんなことしてるんじゃない、という歌が出てくる。
先生は歌で伝えてくる。
いつも横にいる、と思える。
だから私は泣かない、とおっしゃってましたが
先生がチータのことを書かれた詩「二番さん」という詩を
朗読してくださっているうち
うっと胸にこみ上げられたのか
泣いていらっしゃいました。
聴いていて私まで
うるうるとしてしまいました。
星野先生の言葉
「まっすぐに歩いていると
まっすぐなひとに逢えますよ」
まだまだ1番は遠いですが
1番に向かって歩いていきたいと思います、
とおっしゃいました。
そして最後にひと言
「チータと呼んでいただける限り頑張ります!!」と
力強くおっしゃいました。
(感動)
話しを聴きながら
必死でがーーっと手帳に書きました。
聴き逃したくない。
大事なお話ほど 人間すぐに忘れてしまうものですから。
読み直すと あの日のチータが甦ります。
いいお話を聴けて 力をいただきました。
はじめからうまくいったわけではない。
挫折も知っての 今のチータなんだ、って思った時
よし、私も頑張るっ!!、って力が湧いてきました。
お話を聴いて 私が思ったことは
きちんと仰げる師がいる方は
人間が謙虚なのだなぁ、ということです。
常に師を仰ぎ 精進する。
時に誰に育てていただいたのか
わからないくらい
周りの人に 上からものを言われる方もありますが
きっと仰げる大きな支えがない方なのだろう、って思います。
いえ 若い時は仕方ないかもしれない。
勢いで突っ走れば一生懸命な分何もみえなくなる、
でも年を重ねれば重ねるほど 人は謙虚であるべきだと思う。
師がいてくれる人生はしみじみと有難い。
私はそんな風に思う。
チータは大変苦労をされて
デビューされた。
苦労されたからこそ
歌える喜びも続けていける感謝も忘れられることはなかった。
そして 大きな支えとなる師がいらっしゃった。
だからこそ50年歌い続けて来られたのだと思います。
世の中 師を誇りにする弟子はたくさんいると思いますが
師が誇りにできる弟子というのは
そんなにはいないと思います。
チータは星野先生の誇りなのだなぁ。素晴らしいことだなぁ。
そして星野先生は
亡くなられても尚
今も全力でチータの事を応援していらっしゃるんだ!
しみじみと そう思うとき
私も 自分の師や 周りの方に
誇りにしていただける生き方をせねばと
とても教えられた気がします。
あの日から
人生、最後は
誇りにしていただける人間になれるかどうか、に
かかっている。
背を正し日々精進なのだと
今は そのことをすごく思っています。
とてもとてもよいお話を聴けたので
ここに書き記しておきます。

翌日の朝日新聞の山口東部版の記事です。
鮮やかなスーツがとってもお似合いでした。
チータさんが いつまでもお元気で
歌い続けていただけることを
心から願っております。
新曲「人情~なさけ~」も購入して
握手していただけました。
「これからも応援してくださいね」と
声をかけていただけました。
きっと ずっと嬉しそうな顔をして私、
チータをながめていたんだわー。
あはっ。
うれしくていつまでも書いてます。
誰かとめてーー。
でも なんだか私もあの日からパワーアップいたしました。
ありがとうござました。
またチータがいらしてくださるといいなぁ~
なんて思っています。
それにしても
長いっ! 長すぎるーっ
この記事。
どうかお許しください。
![]() | 人情 (2014/09/03) 水前寺清子 商品詳細を見る |
ちなみに「三百六十五歩のマーチ」ですが
(まだ書くのかい、と言う声が聞こえてきそうですが書きます)
作詞 星野哲郎/作曲 米山正夫/編曲 小杉仁三・・・
そうそう作曲は米山正夫先生なんですね~
そのこともトークショーの時おっしゃってましたね。
歌いたくないと一時間ねばった、という話の時に
こんな素晴らしい先生の作品なのにあの時は…というような話しでした。
そしてこの歌を何度も聴いておりますと
「それっ ワンツー ワンツー ワンツー ワンツー!」
チータも演歌を歌いたいのに
ワンツーワンツー、と 英語が出てくる歌を
なぜに歌わないといけないのか、と思われたそうですが
(じゃあワンツーワンツーじゃなくて「いち、に、いち、に」だったらいいのかというと
それはもっとマズいよなぁ・・・・って思いました。)
やっぱりワンツーワンツー、で
はつらつとしたチータのかけ声だからこそだと思います。
チータならではのこのかけ声がいいのですが
このかけ声の
「それっ」
が なんといっても魅力的です。
人間 ワンツーワンツーのかけ声だけでは越えられないハードルがあります。
チータの 「それっ!」のかけ声を聴くと
なんだか思い切り良く自分も それっ!と 越えられる気がする。
よっしゃー がんばるっ!!・・・そんな感じでしょうか。
何気なく聴いていますが
ここがこの曲の肝心なところ。
チータの魅力を表現しているところと言えるのではないでしょうか。
そして また思い出しました。
(どこまで書くつもりかい、って 聞こえてきそうですが あと少し~っ。)
私は 「人生はプラスマイナスゼロ」だと
しみじみ感じていて
その言葉を自分に言い聞かせるのですが
そうだ、この言葉
水前寺清子さんが言われているのを聴いて
なるほどそうだなぁ、って
ずっと昔、思ったのでした。
そうそう、水前寺清子さんがそうおっしゃっていたんだ!!
やっと思い出しました。
人生って死ぬ時にプラスマイナスゼロ、って
たしかチータがおっしゃっていたと思います。
この言葉には感銘を受けました。
その言葉 生きていて しみじみと実感することが多いです。
三歩進んで二歩下がる、
それこそプラスマイナスゼロ、ということでもあるのですが
うまく行く時も 思うようにならないときもあるけれど
人生はすべてをひっくるめて 最後はプラスマイナスゼロ。
大きな山があればその後は大きな谷が必ずある。
強い光が当たれば そこに必ず濃い影が出来るように
幸運と試練は 常に背中合わせ。
そのことを考えると
人生は平等に与えられている、と思う。
だからこそ
「やすまないで歩け」
こつこつと積み重ねる努力が
生きる力になるんだな、と
しみじみと思います。
そしてチータのように
いつまでも笑顔が輝く女性になれたらいいな~。
もう書き尽したかな。
あ――書いた書いた!!!(笑)
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2014.11.12
ふとテレビを見ていて。
先日、仕事から帰ったらテレビがついていた。
息子がテレビをつけていた。
私が小さい頃は
テレビはほとんど見れなかった。
ご飯を食べながらテレビを見る、という習慣はなかった。
父が厳しかったからだ。
おかげで見たいテレビ番組もほとんど見れなかった。
いつも我慢したように思う。
なので私は一人の時はテレビはほとんど見ない。
テレビがない状態が私にとっては普通だし、
テレビがついているとテレビに気が行って何も出来なくなる。
いつもは 常に音楽を聴いて動く。
毎日いろんな音楽を聴く。
至福の時だ。
けれどわが家の家族は居間にいる時は
常にテレビをつけたままにしている。
テレビがついていないとすぐにテレビをつける。
私の子供の頃のことが 何か夢のように思う。
と、話は遠くから入ってしまったけれど
ここから本題です。
その時「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」という番組が流れていた。
何かソースを作られていたのだけれど
ソースなのでそれほど興味もそそられなかった。
仕事から帰ってきたばかりだったので
あまり気にも留めずに
お昼ご飯を食べていたのだけど、
テレビで、さあ完成しました、と
食べ始められた時
上沼恵美子さんの表情が変わった。
うっ、と胸に突き上げられたような感情があったことがわかった。
すぐに言葉はなかった。
そのうち 涙を流されて
「おいしい」
とおっしゃった。
えっ?!
しまった。
ちゃんと見ていなかった。
何を食べたのだろう!
ひとくち食べて
上沼さんが胸を詰まらせるほどのものだったなんて!
なにかの記憶とシンクロしたのだろうか?
何が上沼さんの中で起きたんだ?!
一口食べて
言葉も出なくなり 涙を流されるなんて!
「感動した」とおっしゃっていた。
そのお姿を見てこちらが感動した。
何かを食べて
自分がこんな風に
胸が詰まり 言葉もでなくなり
涙を流したことがあっただろうか。
私の母の料理はおいしかった。
だけどこんな風に 食べて涙を流した記憶はない。
自分の料理もなかなか味はいい、と
自分では思っているけれど
私が作った料理で家族が
こんな風に涙を流してくれたことなどなかったように思う。
ちょっとショック・・・・・
とにかく この日はびっくりしたし
その姿がずっと心に残っている。
料理は愛情だ。
そして 食べる人の感謝の気持ちで
すべては満たされる。
生きているうちに
一度だけでも
家族にこんな風に
「おいしい」と
涙を流してもらえるような料理を作りたい。
しみじみとあの日の上沼さんの姿が頭に残り
そう思っています。
またひとつ 生きる目標ができました。
息子がテレビをつけていた。
私が小さい頃は
テレビはほとんど見れなかった。
ご飯を食べながらテレビを見る、という習慣はなかった。
父が厳しかったからだ。
おかげで見たいテレビ番組もほとんど見れなかった。
いつも我慢したように思う。
なので私は一人の時はテレビはほとんど見ない。
テレビがない状態が私にとっては普通だし、
テレビがついているとテレビに気が行って何も出来なくなる。
いつもは 常に音楽を聴いて動く。
毎日いろんな音楽を聴く。
至福の時だ。
けれどわが家の家族は居間にいる時は
常にテレビをつけたままにしている。
テレビがついていないとすぐにテレビをつける。
私の子供の頃のことが 何か夢のように思う。
と、話は遠くから入ってしまったけれど
ここから本題です。
その時「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」という番組が流れていた。
何かソースを作られていたのだけれど
ソースなのでそれほど興味もそそられなかった。
仕事から帰ってきたばかりだったので
あまり気にも留めずに
お昼ご飯を食べていたのだけど、
テレビで、さあ完成しました、と
食べ始められた時
上沼恵美子さんの表情が変わった。
うっ、と胸に突き上げられたような感情があったことがわかった。
すぐに言葉はなかった。
そのうち 涙を流されて
「おいしい」
とおっしゃった。
えっ?!
しまった。
ちゃんと見ていなかった。
何を食べたのだろう!
ひとくち食べて
上沼さんが胸を詰まらせるほどのものだったなんて!
なにかの記憶とシンクロしたのだろうか?
何が上沼さんの中で起きたんだ?!
一口食べて
言葉も出なくなり 涙を流されるなんて!
「感動した」とおっしゃっていた。
そのお姿を見てこちらが感動した。
何かを食べて
自分がこんな風に
胸が詰まり 言葉もでなくなり
涙を流したことがあっただろうか。
私の母の料理はおいしかった。
だけどこんな風に 食べて涙を流した記憶はない。
自分の料理もなかなか味はいい、と
自分では思っているけれど
私が作った料理で家族が
こんな風に涙を流してくれたことなどなかったように思う。
ちょっとショック・・・・・
とにかく この日はびっくりしたし
その姿がずっと心に残っている。
料理は愛情だ。
そして 食べる人の感謝の気持ちで
すべては満たされる。
生きているうちに
一度だけでも
家族にこんな風に
「おいしい」と
涙を流してもらえるような料理を作りたい。
しみじみとあの日の上沼さんの姿が頭に残り
そう思っています。
またひとつ 生きる目標ができました。
2014.11.10
次はきっと。
昨日はあいにくの雨だったのですが
周南文化会館にて
若柳流宗家吉優美会舞踊乃会という催しがありましたので行ってまいりました。
子供の頃 日舞を習っていました。
子育てが一段落したときに
もう一度日舞をお勉強してみたいと思い
初めて住むこの町で 懸命に若柳を探しましたところ
出逢えたのが吉優美師匠でした。
神さまがくださった
素晴らしい出逢いでした。
そうして習い始めてから15年、
人生、いろいろとあっても
日舞は続けてこれました。
感謝です。
昨日は
朝9時半より開演して終わったのが夜9時45分くらいでしたでしょうか。
とにかく見ごたえのある素晴らしい会でした。
私は今回はお手伝いでしたが
とても充実した一日でした。
前にこの舞台に立たせていただいたのが
2009年。
もう5年も経っていたことに驚きます。
そんなことを思うと
5年、10年など矢のように過ぎて
何もしないままに年を取り、
あの世からお迎えが来てしまう。
えらいことだ、と思います。
今なら もっと豊かに
もっと優雅に表現できるのに、と思うと
そうだ、次は舞台に立つことを目指そう、って
突然スイッチが入った気分です。
先輩方のパワーに圧倒され、
また、力をいただきました。
昨日お話させていただいた先輩には
「人生は一度きりなのだから
やりたいことをやらないとダメよ。
楽しまないと。」と
声をかけていただき
あぁ 本当に そうだなぁ
目標にしてがんばっていらっしゃるから
こんなにもパワフルでお若いのだ、と
背中を押される気持ちでした。
はっきりとした目標が見えると
なんだかとても心が晴れやかです。
いろいろと学ぶことはいっぱいあります。
一日一日、 目標に向かって歩いていけたら、と
なんだか明るい陽が射した気分です。



周南文化会館にて
若柳流宗家吉優美会舞踊乃会という催しがありましたので行ってまいりました。
子供の頃 日舞を習っていました。
子育てが一段落したときに
もう一度日舞をお勉強してみたいと思い
初めて住むこの町で 懸命に若柳を探しましたところ
出逢えたのが吉優美師匠でした。
神さまがくださった
素晴らしい出逢いでした。
そうして習い始めてから15年、
人生、いろいろとあっても
日舞は続けてこれました。
感謝です。
昨日は
朝9時半より開演して終わったのが夜9時45分くらいでしたでしょうか。
とにかく見ごたえのある素晴らしい会でした。
私は今回はお手伝いでしたが
とても充実した一日でした。
前にこの舞台に立たせていただいたのが
2009年。
もう5年も経っていたことに驚きます。
そんなことを思うと
5年、10年など矢のように過ぎて
何もしないままに年を取り、
あの世からお迎えが来てしまう。
えらいことだ、と思います。
今なら もっと豊かに
もっと優雅に表現できるのに、と思うと
そうだ、次は舞台に立つことを目指そう、って
突然スイッチが入った気分です。
先輩方のパワーに圧倒され、
また、力をいただきました。
昨日お話させていただいた先輩には
「人生は一度きりなのだから
やりたいことをやらないとダメよ。
楽しまないと。」と
声をかけていただき
あぁ 本当に そうだなぁ
目標にしてがんばっていらっしゃるから
こんなにもパワフルでお若いのだ、と
背中を押される気持ちでした。
はっきりとした目標が見えると
なんだかとても心が晴れやかです。
いろいろと学ぶことはいっぱいあります。
一日一日、 目標に向かって歩いていけたら、と
なんだか明るい陽が射した気分です。


