2013.03.15
「選んで生まれてきてくれてありがとう」
昨日テレビを見ていましたら
「私を親として選んで生まれてきてくれてありがとう」と
言われている言葉を聴き
あぁ ほんとうに親子の縁というのは
そういうものなのかもしれないなぁ、
そういう気持ちが大切なのだなぁ、と
しみじみと 感動しました。
時に人は 自分の境遇を嘆き、
もっと違うところに生まれてきていたらなぁ、とか
自分勝手に考えます。
「生まれてきてくれてありがとう」と
感謝の気持ちを持たなければ、と思っているけれど
どこかきれいごとのようでピンとこない感じがします。
「自分たちを親として選んで生まれてきてくれてありがとう」と言うと
あぁ そうなんだなぁ
選んで来てくれたんだ!
息子たちの生まれた時のことも
懐かしく思い出します。
そして自分もこの親を選んで 出てきたんだ!、と
自分の人生を人のせいにせずに
自己責任で動けるような気がしました。
たまたま 偶然 ここに生まれてきてしまった、というと
「あちゃー こんな私に当たっちゃったのね」って
なんだか申し訳ないような、気の毒なような気がしてしまいますが
親を選んで出てきてくれたのなら
「よかったね~っ。おめでとう。私を選んでくれてありがとーーっ」って
親もハッスルできそうな気がします。
人生、すべて
最後は自分で選ぶことです。
自分の人生、
自分で決めているんだなぁ。
だから 決めたことには責任がある、ということなんだなぁ。
人間は この世に おぎゃあと出る前に
腹をくくって 自分で決めて出てくると思ったら
人間って けっこうかっこいい、って思いました。
そんなこと この年になって
しみじみと考える私って
悟るのが遅いと
自分でも可笑しいのだけれど
今 しみじみと
そんなことに気づかされ
「必然」の意味を知る思いです。
まだ次男が小っちゃいころに
「僕が先に生まれてこようとしたのだけど
まーくん(兄)が僕を押しのけて
先に出て行ってしまったんよ」
などと 話すので
おもしろいことを言う息子だな、って
大笑いしたのですが
この子の話は
私を喜ばせました。
そっか 私を選んでくれたような気がしたからなんだなぁ、って
今頃気づくようなことです。
人生
感謝して
楽しく
そして最後は自分で決めよう~っ。
「私を親として選んで生まれてきてくれてありがとう」と
言われている言葉を聴き
あぁ ほんとうに親子の縁というのは
そういうものなのかもしれないなぁ、
そういう気持ちが大切なのだなぁ、と
しみじみと 感動しました。
時に人は 自分の境遇を嘆き、
もっと違うところに生まれてきていたらなぁ、とか
自分勝手に考えます。
「生まれてきてくれてありがとう」と
感謝の気持ちを持たなければ、と思っているけれど
どこかきれいごとのようでピンとこない感じがします。
「自分たちを親として選んで生まれてきてくれてありがとう」と言うと
あぁ そうなんだなぁ
選んで来てくれたんだ!
息子たちの生まれた時のことも
懐かしく思い出します。
そして自分もこの親を選んで 出てきたんだ!、と
自分の人生を人のせいにせずに
自己責任で動けるような気がしました。
たまたま 偶然 ここに生まれてきてしまった、というと
「あちゃー こんな私に当たっちゃったのね」って
なんだか申し訳ないような、気の毒なような気がしてしまいますが
親を選んで出てきてくれたのなら
「よかったね~っ。おめでとう。私を選んでくれてありがとーーっ」って
親もハッスルできそうな気がします。
人生、すべて
最後は自分で選ぶことです。
自分の人生、
自分で決めているんだなぁ。
だから 決めたことには責任がある、ということなんだなぁ。
人間は この世に おぎゃあと出る前に
腹をくくって 自分で決めて出てくると思ったら
人間って けっこうかっこいい、って思いました。
そんなこと この年になって
しみじみと考える私って
悟るのが遅いと
自分でも可笑しいのだけれど
今 しみじみと
そんなことに気づかされ
「必然」の意味を知る思いです。
まだ次男が小っちゃいころに
「僕が先に生まれてこようとしたのだけど
まーくん(兄)が僕を押しのけて
先に出て行ってしまったんよ」
などと 話すので
おもしろいことを言う息子だな、って
大笑いしたのですが
この子の話は
私を喜ばせました。
そっか 私を選んでくれたような気がしたからなんだなぁ、って
今頃気づくようなことです。
人生
感謝して
楽しく
そして最後は自分で決めよう~っ。
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