「さらば恋人」 歌・野口五郎
作詞・北山修 作曲・筒美京平 編曲・馬飼野俊一
2010.8.4発売 アルバム「GORO Prize Years, Prize Songs ~五郎と生きた昭和の歌たち~」
このアルバムについて
全曲書いていませんでしたので
とにかく 時間がかかってでも
全曲書いていこうと思っています。
私のブログは
いつも拍手が いただけても一つ二つ・・・なのですが
先ほど見たら
このアルバムについて書いた記事には
拍手が16も17もいただけていたりして
びーっくりします。
みなさん 五郎さんの歌に興味をお持ちなのだと思いますし
五郎さんの歌声が好きでいてくださるんだな、って思います。
とてもうれしいです。
だからこそ 時間がかかっても
最後の一曲まで こつこつ書いていかなくてはと思うのです。
なにしろ 贅沢なアルバムなのですから。
では 何が贅沢なの?って
質問をしたくなられる方もいらっしゃると思いますが
前にも書きましたけれど
三原綱木とザ・ニューブリードの演奏での
一発録りである、ということです。
プロフェッショナルであります!!
ビッグバンドをバックに
五郎さんが決めてくれてます。
五郎さんや 綱木さんや
バンドのメンバーのみなさんが
心を合わせて
真剣勝負で 一発で決めてくれた
そういう プロ魂を見せていただける
素晴らしいアルバムなのです。
その昔は
このように バンドに合わせて
同時に録る方法がとられていました。
けれどこの方法は
いつしか消えて
カラオケで何度も録り直しができる時代へと
変わっていきました。
こんな風に 同時に一発録音、という形がとれるのは
関わるすべての人が 本当に実力がないと
とてもできない、ということです。
歌い手も 実力がなければ
このような録音方法を取って歌おうと思わないでしょう。
敢えて こういう形を選ばれたのは
五郎さんのこだわりですが
それは きっと五郎さんが
自分を育ててくださった
先輩方への敬意でもあり
自分もそのプロ魂を受けついで行くんだという
決意表明であると
私は思っています。
当時の演奏そのままに、というのが
とても贅沢なことなのです。
「さらば恋人」は 堺正章さんが
1971に歌われたヒット曲。
五郎さんの 優しい歌声がぴったりです。
「いつもしあわせすぎたのに
気づかない二人だった」
振り返るときは
とても穏やかで
過ぎた日々は愛おしく美しい。
五郎さんの歌声は温かです。
あらためて
私たちが生きてきた
昭和という良き時代を
このアルバムで振り返ってほしい。
五郎さんの歌を
たくさんの方に聴いていただきたいと
常に思っています。
作詞・北山修 作曲・筒美京平 編曲・馬飼野俊一
2010.8.4発売 アルバム「GORO Prize Years, Prize Songs ~五郎と生きた昭和の歌たち~」
このアルバムについて
全曲書いていませんでしたので
とにかく 時間がかかってでも
全曲書いていこうと思っています。
私のブログは
いつも拍手が いただけても一つ二つ・・・なのですが
先ほど見たら
このアルバムについて書いた記事には
拍手が16も17もいただけていたりして
びーっくりします。
みなさん 五郎さんの歌に興味をお持ちなのだと思いますし
五郎さんの歌声が好きでいてくださるんだな、って思います。
とてもうれしいです。
だからこそ 時間がかかっても
最後の一曲まで こつこつ書いていかなくてはと思うのです。
なにしろ 贅沢なアルバムなのですから。
では 何が贅沢なの?って
質問をしたくなられる方もいらっしゃると思いますが
前にも書きましたけれど
三原綱木とザ・ニューブリードの演奏での
一発録りである、ということです。
プロフェッショナルであります!!
ビッグバンドをバックに
五郎さんが決めてくれてます。
五郎さんや 綱木さんや
バンドのメンバーのみなさんが
心を合わせて
真剣勝負で 一発で決めてくれた
そういう プロ魂を見せていただける
素晴らしいアルバムなのです。
その昔は
このように バンドに合わせて
同時に録る方法がとられていました。
けれどこの方法は
いつしか消えて
カラオケで何度も録り直しができる時代へと
変わっていきました。
こんな風に 同時に一発録音、という形がとれるのは
関わるすべての人が 本当に実力がないと
とてもできない、ということです。
歌い手も 実力がなければ
このような録音方法を取って歌おうと思わないでしょう。
敢えて こういう形を選ばれたのは
五郎さんのこだわりですが
それは きっと五郎さんが
自分を育ててくださった
先輩方への敬意でもあり
自分もそのプロ魂を受けついで行くんだという
決意表明であると
私は思っています。
当時の演奏そのままに、というのが
とても贅沢なことなのです。
「さらば恋人」は 堺正章さんが
1971に歌われたヒット曲。
五郎さんの 優しい歌声がぴったりです。
「いつもしあわせすぎたのに
気づかない二人だった」
振り返るときは
とても穏やかで
過ぎた日々は愛おしく美しい。
五郎さんの歌声は温かです。
あらためて
私たちが生きてきた
昭和という良き時代を
このアルバムで振り返ってほしい。
五郎さんの歌を
たくさんの方に聴いていただきたいと
常に思っています。
![]() | GORO Prize Years, Prize Songs ~五郎と生きた昭和の歌たち~ (2010/08/04) 野口五郎 商品詳細を見る |
スポンサーサイト
2012.06.07
ふるさとと両親と。
日曜日に 下関の田舎に戻ってきました。
父と母の顔を見に 帰ってきました。
父は 週三回 人工透析をしています。
今年87歳。
病院通いはしていますが
元気な母がそばにいてくれるので
父は幸せそうな穏やかな表情で
だんだんと かわいらしくなっていきます。
母は 今79歳ですが
本当に元気で
朗らかに迎えてくれました。
とにかく 母が元気でいてくれるので
みんなが穏やかに幸せにいられます。
私はとにかく
母が 大好きなのです。
結婚してから
なかなか帰れませんけれど
それでも 母がいてくれると思うだけで
がんばれたような気がします。
ずっと甘えっぱなしで
心配はさせても
親孝行らしいことも
出来ずにきました。
でも母はきっと それでも許してくれると
私は思っているのです。
困ったものです。
帰って玄関に入ったら
私の日舞の「風流陣」の舞台に立った時の
三人での大きな写真が
飾ってあって
おもわず 笑ってしまいました。
母が
「玄関に写真を飾ってたらね。
どれがのりちゃんかね、ってみんなに言われるんよ」と
嬉しそうに言ってくれるのを聴いて
親ってありがたいなぁ、と思いました。
考えてみたら
私の小さいころからの喜びは
母が喜んでくれるのを見ることだったかもしれません。
いつも誇りにしてくれたことに
感謝して生きてきたから・・・。
「お父さんがもうね よちよち歩きになってね。
お母さんが支えて 玄関まで行ったんよ。
そしたら私が潰れて 二人で玄関でひっくりかえってね~。
もう大変じゃったんよ。」
そう 笑いながら話してくれる母。
あぁ 老いは確実に忍び寄るんだなぁ。
あんなに難しく厳しかった父が
今では小さなお地蔵さんみたいに
かわいくなって
私の顔をうれしそうに見つめてくれている。
すこしの時間しかいられないけれど
親の顔を見たら それだけで心が満たされて
元気が湧いてきました。
「お父さん またくるからね。」
と声をかけると父が
「今度はいつ来るんかね。」と聴く。
「うん また来れる時はくるからね」と言うと
父が
「のりが来ないとさみしいよ」って
笑顔で言ってくれた。
思いがけない言葉に 胸が詰まりました。
そして母に
「おかあさんがんばってね」と
抱きついたら
母が
「まぁ のりちゃん そんなことしたらお母さん泣くよ」
って 笑い泣きするものだから
私もなんだか熱いものがあふれてきて
帰る車の中 うるうるしたままでした。
帰れるふるさとがあること
待っててくれる親がいること
もうそれだけで
人生十分かなぁ・・・って
正直思います。
両親がいるだけで
不足に思うことなど
何もないような気がします。
この幸せに
感謝して生きなければと思います。
しっかりと
生きていかなくては。
父と母の顔を見に 帰ってきました。
父は 週三回 人工透析をしています。
今年87歳。
病院通いはしていますが
元気な母がそばにいてくれるので
父は幸せそうな穏やかな表情で
だんだんと かわいらしくなっていきます。
母は 今79歳ですが
本当に元気で
朗らかに迎えてくれました。
とにかく 母が元気でいてくれるので
みんなが穏やかに幸せにいられます。
私はとにかく
母が 大好きなのです。
結婚してから
なかなか帰れませんけれど
それでも 母がいてくれると思うだけで
がんばれたような気がします。
ずっと甘えっぱなしで
心配はさせても
親孝行らしいことも
出来ずにきました。
でも母はきっと それでも許してくれると
私は思っているのです。
困ったものです。
帰って玄関に入ったら
私の日舞の「風流陣」の舞台に立った時の
三人での大きな写真が
飾ってあって
おもわず 笑ってしまいました。
母が
「玄関に写真を飾ってたらね。
どれがのりちゃんかね、ってみんなに言われるんよ」と
嬉しそうに言ってくれるのを聴いて
親ってありがたいなぁ、と思いました。
考えてみたら
私の小さいころからの喜びは
母が喜んでくれるのを見ることだったかもしれません。
いつも誇りにしてくれたことに
感謝して生きてきたから・・・。
「お父さんがもうね よちよち歩きになってね。
お母さんが支えて 玄関まで行ったんよ。
そしたら私が潰れて 二人で玄関でひっくりかえってね~。
もう大変じゃったんよ。」
そう 笑いながら話してくれる母。
あぁ 老いは確実に忍び寄るんだなぁ。
あんなに難しく厳しかった父が
今では小さなお地蔵さんみたいに
かわいくなって
私の顔をうれしそうに見つめてくれている。
すこしの時間しかいられないけれど
親の顔を見たら それだけで心が満たされて
元気が湧いてきました。
「お父さん またくるからね。」
と声をかけると父が
「今度はいつ来るんかね。」と聴く。
「うん また来れる時はくるからね」と言うと
父が
「のりが来ないとさみしいよ」って
笑顔で言ってくれた。
思いがけない言葉に 胸が詰まりました。
そして母に
「おかあさんがんばってね」と
抱きついたら
母が
「まぁ のりちゃん そんなことしたらお母さん泣くよ」
って 笑い泣きするものだから
私もなんだか熱いものがあふれてきて
帰る車の中 うるうるしたままでした。
帰れるふるさとがあること
待っててくれる親がいること
もうそれだけで
人生十分かなぁ・・・って
正直思います。
両親がいるだけで
不足に思うことなど
何もないような気がします。
この幸せに
感謝して生きなければと思います。
しっかりと
生きていかなくては。
2012.06.02
カラオケでびっくり。
昨夜 カラオケにいきました。
いつもは 長男に声をかけても
シラーッとして 「行かない」のひとことで終わりなのですが
昨日は 「行ってもいい」というので
一緒に行きました。
息子が何を歌うのか興味津々。
しかし 自分も息子がいると
普段歌ったこともない
「四季の歌」など入れたりして
健全な?歌ばかりを選び
なんかやっぱり調子が狂う~っ。
いつもはおとなしい
あまり表情のない息子が
歌を歌いだしたとたん
まーーっびっくり!!
若い若いっ!!元気元気!!
親バカだけど 声がとてもいいーーっ。
なんかジャニーズ系で驚く!!
主人と二人で拍手喝采!!(親バカ×2)
息子がこんな歌声だとは
本当に知らなかった!!
思わず 息子に「青いリンゴ」をリクエストすると
嫌がりもせずに歌ってくれた。
まーーーっ 若い野口五郎さんの歌声にも似て
超盛り上がるーーっ。
あまりに上手に歌えたので
お母さん拍手喝采で大盛り上がりでした。
一応私も「僕をまだ愛せるなら」を歌い大満足。
「君に逢いたいよ」もあったらいいのにな~、
と思いながら。
息子がおとなしく
普段鼻歌すら歌わないので
歌が歌えないのだろうと思っていたら
最近の曲から古い曲まで
抵抗なく歌って
声がとてもよかったのに
本当に驚きました。
あぁ こんなこと書いて
私って本当に親バカだなーーっ。
でも今 五郎さんのお母さんの気持ちが
突然わかった気がしました。
男の子を持つということも
なんか とってもうれしいことだと
あの青い声を聴いて
誇らしくなりました。
こんなこと書いてる私ってなんだかなー。
笑って読み流していただけると嬉しいです~っ。
いつもは 長男に声をかけても
シラーッとして 「行かない」のひとことで終わりなのですが
昨日は 「行ってもいい」というので
一緒に行きました。
息子が何を歌うのか興味津々。
しかし 自分も息子がいると
普段歌ったこともない
「四季の歌」など入れたりして
健全な?歌ばかりを選び
なんかやっぱり調子が狂う~っ。
いつもはおとなしい
あまり表情のない息子が
歌を歌いだしたとたん
まーーっびっくり!!
若い若いっ!!元気元気!!
親バカだけど 声がとてもいいーーっ。
なんかジャニーズ系で驚く!!
主人と二人で拍手喝采!!(親バカ×2)
息子がこんな歌声だとは
本当に知らなかった!!
思わず 息子に「青いリンゴ」をリクエストすると
嫌がりもせずに歌ってくれた。
まーーーっ 若い野口五郎さんの歌声にも似て
超盛り上がるーーっ。
あまりに上手に歌えたので
お母さん拍手喝采で大盛り上がりでした。
一応私も「僕をまだ愛せるなら」を歌い大満足。
「君に逢いたいよ」もあったらいいのにな~、
と思いながら。
息子がおとなしく
普段鼻歌すら歌わないので
歌が歌えないのだろうと思っていたら
最近の曲から古い曲まで
抵抗なく歌って
声がとてもよかったのに
本当に驚きました。
あぁ こんなこと書いて
私って本当に親バカだなーーっ。
でも今 五郎さんのお母さんの気持ちが
突然わかった気がしました。
男の子を持つということも
なんか とってもうれしいことだと
あの青い声を聴いて
誇らしくなりました。
こんなこと書いてる私ってなんだかなー。
笑って読み流していただけると嬉しいです~っ。